小さい頃の自分は、「人気者」だったと思う。
教室の中心で、動物園で見たゴリラのモノマネをしては、同級生たちを笑わせていた。
「ウッホウッホ! ウーッホッホ!」
教室が爆笑に包まれる瞬間だけが、私にとっての酸素だった。
友人たちのその言葉に、私は得意げな顔を見せた。
だが、心の中は冷え切っていた。
お調子者で、人を笑わせるのが好きな少年。
それは、私が生き延びるために作り上げた、精巧な「仮面」だったからだ。
家に帰れば、そこは冷たい戦場だった。
両親の離婚。幼い頃から肌で感じていた、「うちは他の家とは違う」という違和感。
家庭という基盤が足元から崩れ去っていく恐怖を、私は教室での馬鹿騒ぎで必死にかき消そうとしていた。
笑われていれば、愛される。面白ければ、ここに居ていい。
そうやって自分の存在価値を証明し続けなければ、自分が消えてしまいそうで怖かった。
あの頃のモノマネは、私の最初の「ビジネス」だったのかもしれない。「笑い」という対価を支払って、「居場所」を買うための。
中学に上がると、私はピエロを演じることに疲れてしまった。
私には、新しい居場所ができていた。
モニターの中に広がる、無限の電子空間。MMORPGの世界だ。
そこは楽園だった。
「きこにい」というプレイヤーは、現実の無力な少年とは違い、100人以上のギルドメンバーを束ねるマスターだった。
顔も知らない、本名も知らない仲間たち。
彼らは、私の親の離婚も、学校での成績も気にしない。ただ純粋に、私の「プレイ」と「統率力」だけを評価してくれた。
ログインした瞬間に飛び交うチャットの文字。
その光だけが、私の世界を照らしていた。
学校には行かなくなった。昼夜逆転し、食事も忘れ、キーボードを叩き続ける。
気兼ねなく過ごせるこの世界こそが、私の本当の「家」だった。
だが、その楽園は、最も残酷な形で終わりを告げる。
ある日、激昂した母が部屋に入ってきた。
彼女の手が伸び、PCの電源ケーブルを掴む。
画面が暗転する。
それは、単にゲームが強制終了した音ではなかった。
私の「世界」が、物理的に切断された音だった。
「ネットは禁止よ!」母の言葉は正論だったかもしれないが、当時の私にとっては死刑宣告に等しかった。
私は魂の抜けた人形のように、ただゲーセンに入り浸るだけの日々を送った。
「このままでは、終わる」
本能的な恐怖に駆られ、私は高校への進学を決めた。
選んだのは、夜間の定時制高校。
しかし、母との関係は冷え切っており、学費の援助は期待できなかった。
「自分で払うしかない」
16歳の少年は、生きるために労働市場へ放り出された。
昼はファストフード店、夕方からは居酒屋。
バイトを掛け持ちし、クタクタになった体を引きずって、夜の学校へ通う。
同世代が部活だ、恋だと青春を謳歌している時間に、私は厨房の油にまみれ、客に頭を下げていた。
そのハングリー精神は、私を「勉強」へと向かわせた。
be動詞すら分からなかった私が、狂ったように英語を貪った。
ネトゲで培った「攻略脳」がここで火を噴いた。ルールを解析し、最短ルートでレベルを上げる。
2ヶ月後、英検2級合格。
その通知書を手にした時、私は震えた。「やれば、できる」。
それは、ピエロでもギルマスでもない、「私自身の力」で勝ち取った初めての勲章だった。
大学進学を果たし、起業家に会うためにシンガポールへ飛ぶなど、行動力だけは誰にも負けなかった。
そして卒業後、某メーカーに就職。営業職としてスーツに袖を通した。
「安定した生活」
世間が言う「正解」のルートに乗ったはずだった。
だが、会社という組織は、私にとってあまりにも窮屈すぎた。
非合理な慣習。無意味な忖度。
ネトゲの世界では「実力」が全てだった。定時制時代は「生存」をかけて戦ってきた。
そんな私にとって、会社の論理はただの「茶番」にしか見えなかった。
私は早々に組織に見切りをつけた。
フリーランスとして独立したが、現実は甘くなかった。
日雇いバイトで食いつなぐ日々。「オレにしかできないことは何だ?」
泥水をすすりながら問い続けた先に、一つの答えがあった。「マーケティング」だ。
法人設立。
私が立ち上げたマーケティング会社は、時代の波に乗り、爆発的な成長を遂げた。
自分の戦略が面白いようにハマる。数字が増えていく快感。
従業員を雇い、オフィスを構え、若き社長として君臨する。
新卒時代のあの上司を見返してやったという優越感。
プライベートでも結婚し、最愛の妻と共に、都心の広いマンションへの引っ越しを計画する。
「オレは人生の勝ち組だ」
誰もがそう思い、私自身もそう信じて疑わなかった。
だが、私は気づいていなかった。
高く積み上げた積み木ほど、崩れる時は一瞬だということに。
ある休日の朝。
一本の電話が鳴った。
「もしもし、きこにいさんですか? 落ち着いて聞いてください」
その電話の内容を理解した瞬間、私の背筋は凍りつき、視界が歪んだ。
それは、会社を倒産に追い込むには、あまりにも十分すぎる金額だった。
会社のキャッシュは枯渇し、取引先への支払いが滞る。
経営者として、最も残酷な決断を下さなければならなかった。
「すまない。会社を畳むことになった」
集めた従業員たちに頭を下げる。
昨日まで「一緒に夢を見よう」と語り合った仲間たちを、自分の手で路頭に迷わせる。
全員解雇。
残ったのは、莫大な借金と、抜け殻になった自分だけ。
自己破産。
積み上げたキャリアも、社会的信用も、プライドも。全てが消えた。
結婚したばかりの妻に、こんな地獄を見せることになるなんて。
それからの日々は、記憶が曖昧だ。
定職に就こうとあがいたが、かつてのプライドが邪魔をする。
「なんで俺がこんなことを」
そんな腐った性根を見透かされるように、仕事は長く続かなかった。
気づけば、私は部屋に引きこもっていた。
ニート。
年商1億の社長から、社会の底辺へ。
「俺の席は、もうどこにもない」
天井を見上げながら、自問自答を繰り返す。
そんな絶望の淵で、ふと、古い記憶がフラッシュバックした。
小学生の頃の教室。ゴリラのモノマネをして、みんなを笑わせていた自分。
MMORPGで顔も知らない仲間たちを束ね、熱狂していた夜。
雷に打たれたような衝撃が走った。
オレには、何もない。
金も、地位も、信用もない。
だが、「失敗」ならある。「恥」なら売るほどある。
この泥にまみれた無様な人生そのものが、誰にも真似できない「コンテンツ」になるんじゃないか?
「オレは、配信者になる」
妻にそう告げた時、声は震えていたかもしれない。
元社長が、いい歳をして、画面に向かって喋る。
世間から見れば「終わってる」男の、最後の悪あがき。
だが、腹は決まっていた。
TikTokという荒野に降り立った。
プライドは捨てた。
「1.6億溶かした」という最大の汚点を、看板として掲げた。
石を投げられる覚悟で、カメラの前に立った。
最初の配信。
視聴者数(同接)、1人。
その「1」という数字が、私の妻であることは分かっていた。
それでも、私は叫び続けた。
かつて教室でピエロを演じた時のように。
ギルドで仲間を鼓舞した時のように。
1人が2人になり、10人になり。
「こいつ、バカだな」と笑うコメントが、私には宝石のように見えた。
笑われていい。バカにされていい。
そこに「熱狂」が生まれるなら、私は喜んでピエロになろう。
そして今。
私はまだ、旅の途中にいる。
借金はまだある。生活は楽じゃない。
だが、もう孤独ではない。
画面の向こうには、「共犯者」たちがいる。
私の失敗を笑い、私の再起を信じ、共に泥舟に乗ってくれるイカれた仲間たち。
彼らと共に、私は証明したい。
「人生は、いつからでも、何度でもやり直せる」ということを。